FC2ブログ
03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

スポンサーサイト

--年--月--日
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

きっかけ -その5-

2009年05月01日
きっかけ編はとりあえず今回で締めます。

前回最後にふれた 新宿ベロシティ 。一時期接吻ファンの聖地ともいうべき存在でした。店内にたくさん人がいることは(管理人の知る限り)ありませんでしたが、全国から集まる信者たちが集まっては巡礼したものでした。当時はまだビデオ(VHS)がメインで確かブロマイド風の写真とかもかなり置いてありましたね。まだいまほどネット情報があふれていない時代でしたから、ぜんぜん見たこともない商品がたくさんあったり、出たばかりの新作があったり・・・いろんな思い出が去来します。

ベロシティといえばもうひとりの巨匠、 シルヴィア監督 を忘れてはいけません。90年代後半から21世紀序盤に度肝を抜かれ続けたのはこのシルヴィア作品とJNSのOSARU監督作品でした。塚本監督や鷲本監督と比べてより過激でスピーディーな描写が特徴でした(です)。 唾液などの描写もエスカレートし、唾かけ、痰きり、べろんべろんの顔なめなど、行き着くまで行っちゃった感がありました。けっこうこれも好きだったけど、どちらかと言うと濃厚な接吻ファンの管理人は、次第にオーソドックスなキスにシフトしなおすようになりました。やはり個人的に接吻に一番大事なのは「愛」なのです。

管理人レズ・フリーク、実は一時期「顔騎」にはまった時期がありました。と言ってもF/F、つまり女性同士のそれと言うのはおいそれと見つかるわけではありません。だからと言って、F/Mに手を染めるようなレズ・フリークではありません。そんなことで巡り合ったのがブラジルのMFXというビデオメーカーでした。後にグループ化してFetish Brazilという総合フェチレーベルに発展したメーカーです。

ここが数少ない女性同士の顔騎ものを制作していたのですが、さらに新しく始めたレーベルが「Spit Brazil」でした。ここの作品は女性同士で唾を飲ませあったりかけ合ったりする、いまはスピットものとして認知されてるジャンルの先駆けで、その描写はいま見てもかなり過激なものでした。キスものの過激さで日本は世界に冠たる存在でしたが、唯一Spit Brazilは一目おくべきものでした。

そんなわけで90年代後半から2000年代前半、レズキス界?を席巻したのは行き着くまで行ったような過激な描写だったような気がします。変な例えですが60年代のジャズ界がフリージャズという無調音楽まで発展し、混沌の世界に突入したような、そんなイメージでした。カオスは本物とそうでないものの境目をあいまいにしがちです。個人的な嗜好ではむさぼり感はあっても、やはりもっと愛を感じさせるキスが欲しい。ここ数年の管理人はそんな飢餓感にとりつかれながら過ごしていました。

数回に渡ってうだうだ書き続けてきました。お付き合いいただいた方、ありがとうございます。

管理人レズ・フリークが今回三枚のDVD作品を出すきっかけとなったものはいままで書いてきた背景が背中を押してくれたものです。特に一作目の「熟唾」、二作目の「熟唇」は、抑えきることのできない「愛と欲望」をキスで燃焼させる、というテーマで作りました。三作目は毛色を変える意図があってややその色は薄くなっています。

ぜひおひとりでも多くにご覧いただければこれに勝る幸せはありません。
スポンサーサイト
[PR]

FC2公認の男性用高額求人サイトが誕生!
稼ぎたい男子はここで仕事を探せ!
きっかけ | コメント(4) | トラックバック(0)

きっかけ -その4-

2009年04月28日
ブログをやっている方はお分かりでしょうが、ブログにはカテゴリというものがあります。書き始めのころというのは分類などあまり考えないもので、いずれ書き溜めたらあらためて分類する場合が多いと思います。この記事もカテゴリは未分類で、タイトルはきっかけ-その4-となっていますがいずれ変更することになるでしょう。まぁどうでもいいことではありますが。

エフエープロのヘンリー塚本監督作品について前回書きましたが、監督は好んで熟女同士の組み合わせも撮られていました。これもわたくしレズ・フリークに大きな影響を与えたひとつです。篠原五月さん、岡部まり子さん、河村恵美子さん・・・ずいぶんお世話になりました(笑)。

さて90年代中盤レズキス界にもうひとりの巨匠が登場しました。アロマ企画の「濃厚接吻」シリーズはエフエーの「ネコとタチ」に比肩する大きなインパクトでした。その巨匠はいうまでもなく鷲本監督です。このシリーズは時にかなりの間隔を開けながらも続きましたが、9巻でどうやら終了してしまいました。もうかれこれ10年ぐらいになるのではないでしょうか。

このシリーズの画期的なことはタイトルどおりキスの濃度が極めて濃かったと同時に1コンテンツ1カテゴリーであったことです。それでも初期のころの作品には乳首なめや軽い絡みもあったと記憶しますが、後半はほぼキスオンリーに統一されました。個人的には1、3、5、9が好みでした。特に最終作となった9巻はAV映像のレベルとしても最高レベルにあったのではないでしょうか。主演の安西ゆみこさん、古河由摩さん・・・すばらしかったです。宮内&吉永コンビも。

この時代(レズキス的に)絶好調だった鷲本監督のもうひとつの傑作シリーズが「熟女レズ接吻」シリーズでした。残念ながらこちらは3作で終息してしまいましたが、熟女ふたりが延々とキスするだけという、今考えても超ウルトラ・マニアックなものでした。今回わたくしレズ・フリークが制作した3作もある意味この系統ですが、さすがに女優さんを三人にしたり、細かく設定を変えて作りました。このシリーズのように女優さんふたり、1シーンのみと言うのはさすがに時間を持たせる自信がありませんでした。

鷲本作品は設定やストーリー展開に凝るタイプではなく、ごく普通に女性二人が何気なくキスを初めて、それがしだいに熱いものにエスカレートしていくというものでした。カメラ・アングルも特に初期はそれほど多様ではなかったように記憶します。ですからキスそのものがまさにコンテンツでした。

わたしも今回制作して分かったことですが、これは女優さんにも集中力と大きなストレスを与えます。女優さんは男性相手よりレズのほうがはるかに緊張するようです。それは傷つけてはいけないとか、人間関係が気になると言った男相手よりデリケートな面が大きいと言います。鷲本監督はこの難問を熟女でやり遂げたんですから大したもんです(笑)。このシリーズ三作目に出演された早乙女美沙さんは一時期私のアイドルでした(笑)。

その後鷲本監督がレズキスものを撮ることはほとんどなくなりました。これは大きな損失のようですが、思うに監督はやり尽くした、レズキスに関してはバーンアウトしたのではないかと想像します。いったんそうなるとモチベーションを維持できなくなるのはある意味当然のことのような気がします。

アロマ企画さんはインターネットにも積極的で早い時期から接吻系の掲示板をやっていました。当時ネットの世界にはまり出した私はこれに飛びつき、ほぼ毎日のように書き込んでいました。当初はレズ接吻も男女接吻も一緒くたですが、両者のいがみ合いに危機感を抱いた(笑)アロマさんが一時期板を分けたりしました。我々レズキス派は喜びましたが、男女派はなんとなく共学でないクラスにされたみたいで寂しそうに見えました。そんなことないか(笑)。

その後いろんな事情からこの掲示板はうやむやに消滅してしまいましたが、これを通じて私はベロ吉さんほか同好の皆さまと知り合うことができたのです。アロマの板がなければその後の交流はありえなかった、そう考えると同社には頭が下がる思いがします。レズ接吻ファンの多くが通ったあの新宿ベロシティ、こちらも忘れられない存在でした。(続く)
きっかけ | コメント(2) | トラックバック(0)

きっかけ -その3-

2009年04月26日
21日の続きです。

90年代の前半、レズAV界に大きなインパクトをもたらしたのはなんといっても FAプロのヘンリー塚本監督作品 でした。「ネコとタチ」シリーズを中心にその映像はそれまでのレズAVの概念やイメージを一変させるもので、リアリズムを追及したものでした。ことばで言えば「情念」というべきものでしょうか。すでに平成時代に入っていましたが、昭和のひなびた町や農村を舞台にした、ドロドロの愛憎劇をレズAVの世界にもたらしたのです。

塚本監督の描くレズはある意味「きれいな映像への決別」でした。 レズキスには「エロい」と同時に「きれい」というイメージがあり、これはおそらく現在でも通用するものだと思うのですが、FAレズ作品はこの「きれい」をかなりの部分、否定するという斬新なものでした。代わりに導入されたのが「リアリズム」であり、「むさぼり」でした。荒井未来さん、上杉愛奈さん、篠原五月さん、中原裕子さん、河村恵美子さん・・・彼女らが見せてくれたキス、接吻はそれまでのレズキスのそれとはまさに一線を画すものでした。 同時にこれは「キス」「接吻」 が単なる前戯や添え物でなく、大きなジャンルたりうることを示すエポックメーキングなものでもあったわけです。

「ネコとタチ」以前はあまりレズに興味なかったという塚本監督は、ある時期とりつかれたようにレズものを撮り続けました。当時FAプロは毎月5~10作品ぐらい出していたと思うのですが、ほとんどがレズ作品という月もありました。当時のメディアはもちろんVHSのビデオであり、主にレンタルユースでリリースされていたため買うと一本一万数千円もしましたが、管理人はほとんど買ったと記憶しています。だから多いときはFA作品だけで5、6万円使っていました。もちろんかなりの負担でしたが、購入しないという選択肢はありませんでした。

初期からのファンの方なら覚えていらっしゃるかもしれませんが、「ネコとタチ」シリーズなどのレズ作品は当初レズオンリー作品ではありませんでした。半分ぐらいは普通の男女のセックスシーンだったように思います。これはこの手にまったく関心ない私にとって唯一の不満でして、何度も何度もメーカーさんに改善要望の手紙を出しました。インターネットやメールなどなかった時代ですからそれしか手段もなかったためですが、それが功を奏したのかはわかりませんがある時期から男女のシーンがなくなるようになりました。当然私は狂喜乱舞しました。当時FA出演されてた男優さんには迷惑だったかもしれません(笑)。 ともかくこの時代がいつまでも続いて欲しいと願ったものです。

そのように管理人レズ・フリークが一番影響を受けたのはこのヘンリー塚本監督作品でした。これを超えるものはいままで無いし今後も現れることはないでしょう。今回私レズ・フリークが撮影した作品群は当然ながらその影響を受けています。特に「熟唾(うれつば)」は最も顕著にその影響が現れた内容と言えるでしょう。(とさりげなく売り込み。笑)

その後レズAV(というよりレズキス作品)界には アロマ企画の「濃厚接吻」「熟女レズ接吻」(ともに鷲本監督作品)やJNSのOSARU監督作品シリーズ、シルヴィア監督作品 など、名作・傑作シリーズがたくさん登場しましたが、やはりコンセプトや設定、接吻の描き方などの点で、私が自分の可能な範囲で追随したかったのはヘンリー塚本作品にほかなりませんでした。(続く)
きっかけ | コメント(3) | トラックバック(0)

きっかけ -その2-

2009年04月21日
さてレズに目覚めてしまったとは言え、そんな時代に好奇心を満たしてくれるようなものにめったに出会えるものではありません。女性同士が愛し合う夢のようなシーンは想像をめぐらすしかない時代でした。悶々とした日々が続いてしまい、ときに本屋さんで子供が見てはいけない雑誌に見かけたレズ写真を目に焼き付けては帰る、そんな毎日でした。

歳をごまかして紛れ込んだピンク映画(もう時効だから許してね。笑)の、ほんのわずかのレズシーンで思わず逝ってしまっていたような70年代の半ば、ある時期日本ではちょっとしたレズ・ブームが起こりました。きっかけは二本のエロチック洋画。

熟れすぎた


最初は確かスウェーデン映画だったと思いますが、 「熟れ過ぎた少女Bibi」 (写真)。当時18歳のマリー・フォルサ演じる主人公の少女に起るいろんな性体験を描いた作品でしたが、レズ・シーンがとても多かった記憶があります。なにしろ英語のタイトルが「Girl Meets Girl」です。 この作品では主人公の叔母とその女友達(ともに40代ぐらい?)のレズシーンがあり、激しくないけど扇情的なキスシーンもありました。

もう一本は言わずとしてた 「エマニエル夫人」 でございます。 あのスカッシュのシーンはTVスポットなどにも使われ、とりわけ印象深いシーンでした。当サイトの作品「熟唾」でちょっとこのシーンを真似ています。パクリと言わずオマージュと捉えてください(笑)。当時11pmという大人向け深夜番組が人気で、この手の情報をよく流していました。懐かしいなぁ。

この二作をきっかけとしたレズ・ブームはしばらく続き、当時のビニ本はすごくレズが多くてとてもハッピーな時期がありました。そう、あの当時まだビデオなんかなかったからビニ本でしたね、一番のオカズ(笑)。でもそんないい時代は長く続かず、レズ・ブームは次第に下火になっていきます。

80年代をむかえた頃、アダルト界には画期的なものがもたらされました。家庭用VTRの普及はアダルトビデオの発展にかってないほどの影響を与えたことはご存知の通り。これは逆も言えまして、アダルトはVTRの発展にも大きく貢献することになりました。インターネットの時代になってもこの構図は変わらず、いろんな功罪はあってもエロがこうしたインフラの発展に欠かせない役割を果たすのは昔も今も変わりません。

家庭用VTRが普及するとともにビデオソフト(テープ)やレーザーディスクでアダルトビデオも商品化されました。当時は30分ものがメインで値段も1万円ぐらい。レズビデオを購入してもキスシーンはほんのわずか、1分あるかないかの世界でした。それでもその短くも美しい至福の時を「繰り返し」味わえることはなににも変えがたいほどでした。

肝心のキスシーンは・・・いまから考えると「ぬるい」ものが大半でした。でもしょうがない。当時の女優さんは同性とのキスにはまだ抵抗のある時代で、キスしてくれるだけまだマシでした。たまにSM系のビデオでかなりエグいキスシーンを見ることができましたが、やはり時間はほんのわずか・・・VTRの時代になったとは言え、満足できるようなレズキス・シーンに出会うことができない、そんな悶々とした時代がまだ長く続くことになったのです。

しかし90年代に入ってこの状況を一変させるレズビデオを制作するメーカー・監督が現れ、レズファンに大きなインパクトを与えることになりました。(続く)
きっかけ | コメント(2) | トラックバック(0)

きっかけ -その1-

2009年04月20日
このブログにて管理人レズ・フリークがレズとりわけ熟女のレズ接吻に魅せられたのか、についてこれから書き綴っていきたいと思います。ま、書き綴るなんてシックなものじゃぁありませんけど、おつきあいいただければハッピーです。

まずサイト名とした「J-Leskiss.com」。 この「J」は熟女とJapaneseのふたつの意味を持たせたもの、 ダブルミーニングでございます。もっとひねった、洒落っ気のあるサイト名にしようかとも考えましたが、アダルトサイトの場合ジャンルがなるべくサイト名に入ったほうが検索にかかりやすいというメリットがありました。

レズキスは国内では人気のあるフェチですが、海外ではそんなでもないようです。でも、できれば海外にもマーケットを広げたい・・・などという大それた考えもありまして、いずれは英語ページも作成しようかなどと思案中です。

管理人レズ・フリークがレズに目覚めた?のはまだ確か中学生のころでした。すでにオッサンな管理人が中学生だったのははるか古(いにしえ)のことです。

きっかけは兄が持っていた週刊誌(平凡パンチだったか?)でした。そこに載っていたのは中年女性(といっても30代ぐらい)と若い女性のお話で、その関係は上司と部下か、先生と元教え子か、そんな感じだったと思いますが、とにかく年上の女性が若い女性をあるきっかけでベッドに誘うというものでした。

ストーリーの脇に写真はなくてイラストが載っていたんですが、このイラストがなかなか官能的で、うぶな中学生にとってまったく未知だったレズという世界の甘美さとあいまってすごいインパクトを受けました。

まだ当時はレズということばがなく(と言いますかあったんでしょうが、知らなかった)、雑誌での表現も「(女子)同性愛」。ともかくこの女性同士が愛し合うという種族保存の法則からはかけ離れた、しかしなんとも甘美な世界に出会った感動は、きっとこれを読んでる皆さんも絶対一度は味わっているはずですね。

それが管理人レズ・フリークにとっての、数十年におよぶレズ鑑賞暦、人生の大きなウェイトを占める一大フェチのスタートでした。(続く)
きっかけ | コメント(0) | トラックバック(0)
 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。